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高松高等裁判所 昭和36年(う)393号 判決

被告人 植田興行有限会社

右代表者代表取締役 石丸政治郎 外二名

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人ら三名の連帯負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、記録に編綴してある弁護人藤原俊太郎作成名義の控訴趣意書(控訴趣意書一枚目裏一〇行目に「申告入場税額」とあるは「逋脱入場税額」と、同二枚目表二行目に「逋脱入場程額」とあるは「逋脱入場税額」と、同三枚目裏一二行目に「三宅為義」とあるは「三宅春義」とそれぞれ訂正する。)に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

控訴趣意五について。

所論は、原判決添附の別紙一覧表第一(以下単に原判示事実と略称する。)の3の事実は、被告人植田興行有限会社の関係では、すでに三ヶ年の公訴時効が完成した後本件公訴が提起されたのであるから、被告会社に対しては右事実につき免訴の言渡をなすべきであるというのである。

よつて、按ずるに、入場税法二八条、二五条一項一号及び刑訴二五〇条五号二五三条一項に照らすと、法人が入場税法二八条(同法二五条一項一号)に違反した罪の公訴時効は、その犯罪行為が終つたときから三年を経過することによつて完成すると解すべきことは論旨に指摘するとおりである。(昭和三五年一二月二一日最高裁大法廷判決参照)。ところで、昭和三〇年一一月当時施行されていた入場税法一〇条及び一二条によると、興行場の経営者等は、政令の定めるところにより、その領収した毎月分の入場料金の総額を催物の種類及び税率の区分に従つて記載した申告書を翌月一〇日までに興行場の所在地を管轄する税務署長に提出して課税標準額の申告をし、その月末までに右課税標準額に照応する入場税を納付すべき義務のあることが定められている。そして、入場税法二五条一項一号には、詐欺その他不正の行為によつて入場税を免れた場合と右と同一方法によつて入場税を免れようとした場合とが規定されているのであつて、後者の場合には、論旨のいうように、申告書の提出期限をもつて右犯罪行為の終了時であると認められることもあり得るであろうが、前者については、申告書の提出期限後といえども改めて正当な申告をして入場税を完納する場合もあり得るから、納期限の経過をまつて始めて確定的に入場税を免れたというべく、したがつて、そのときに右犯罪行為が終了したと解するのを相当とする。ところで、原判示3の事実についてこれをみるに、右は昭和三〇年一一月分に関するものであつて、被告人らは同年一二月五日その課税標準額(逋脱した部分を除いて)を申告し、その納期限は同年一二月末日であつたのであるから、右納期限の経過により一一月分の入場税を免れた罪の犯罪行為は終了したというべきであり、右3の事実につき本件公訴の提起があつたのは昭和三三年一二月一二日であること記録上明白であるから、刑訴二五〇条五号の時効は未だ完成しないのであり、原判決が、原判示1及び2の罪については被告会社を免訴したが、原判示3の罪について有罪の言渡をしたのは正当である。論旨は理由がない。

控訴趣意二及び三の(1)(2)について。

所論は、原判決は、的確な証拠に基づかないで原判示各犯則事実を認定した違法があるというのである。

(1)について。

記録を精査して検討するに、原審証人三宅春義が、昭和三五年一一月八日の第七回公判期日及び昭和三六年七月二六日の第一一回公判期日においてそれぞれ取調を受け、右第一一回公判期日に論旨が「証言の一部」として摘記しているような供述をしていることは、所論のとおりであるが、しかし、右供述は、原審昭和三四年押第六三号の一六の一、二、四、五の金銭出納簿四冊の記載内容の真実性に関するものであつて、右各金銭出納簿の記載事項のうち四、五割程度は調査したと思うが、調査したものはすべて他の証拠による裏付があつてその記載の真実であることが判明したのであり、調査をしなかつた部分についても、調査した部分の記載の真実であつたことから、真実の記載であると判断したとの趣旨の供述であつて、論旨のいうように、同証人が「本件の犯行については証明できないものもある。」というような趣旨の供述をしているものでないことは、同証人の各供述記載を熟読すれば自から明らかである。論旨は、原判決が判示1ないし30の各事実の各内容の五、六割程度はあたかも同証人の推測に基づく証言によつて認定したかのような主張をなし、その根拠として同証人の前記供述記載部分を挙げるのであるが、同供述記載部分が右各金銭出納簿の記載の真実性に関するものであることは前記説示のとおりであり、また、原判示各事実と右各金銭出納簿とを対比検討すると、同帳簿は原判示1ないし12の各事実認定の資料に供されているに過ぎないことが明らかに看取できるのである。

(2)について。

論旨は、前記一六の一、二、四、五の各金銭出納簿の記載は真偽相半ばしているのにかかわらず、原判決がその記載内容がすべて真実であると認定したのは失当であるというのである。

よつて、記録を精査して検討するに、被告人植田シマが昭和三三年三月一九日高松国税局収税官吏大蔵事務官三宅春義から第二回目の取調を受けるようになつて以来(第一回目の取調の際には真実の記載である趣旨の供述をしている)、また、被告人植田秀一は当初取調を受けたときから終始、右各金銭出納簿は、被告人植田シマが、昭和三一年九月頃株式会社香川相互銀行丸亀支店から融資を受けるにあたり、同支店係員に対して原判示の映画館蓬莱館の経営状態が好調であるように見せかけるため、興行収入金を適宜水増しした帳簿を作成するようにとの被告人植田秀一の指図により僅々一週間位の間に適当に記載したものであつて、その記載は真偽相半ばする旨の供述をしていることは所論のとおりである。しかし、原判決が右各金銭出納簿の記載の真実性を担保し得る根拠として説示しているところは、原判決六枚目裏二行目以下九行目までの判示部分を除き、すべて首肯できるのみならず、当審における事実取調の結果によると、原判決添附の別紙一覧表第一の「申告した入場税額」の欄に記載された1ないし12の各入場税は被告会社から丸亀税務署に納入されたものであるところ、そのうちの一部分のものについては前記一六の二、四、五の各金銭出納簿に入場税として支出した旨の記載があり、また、一部分のものについては、前記一六の一の金銭出納簿に、昭和三〇年八月一四日以降同月二三日までの間前後七回に亘り、香川掛金(前記香川相互銀行丸亀支店への預金)として支出した旨の記載があり、この預金が引出されて入場税として納付されたことが窺われ、しかも右各支出金額はおおむね前記申告した入場税額と符合するのであつて、右の事実も前記各金銭出納簿の記載が真実であるとの一資料たり得るのである。蓋し、もし右各金銭出納簿の作成者である被告人植田シマがいうように、同各帳簿中の興行収入の記載が真実のものより水増しした金額の記載であるとするならば、入場税支出についての記載も、当然右水増金額に相応する入場税を支払つた旨水増しして記載するのが当然であるのにかかわらず被告会社が申告した入場料(すなわち、金銭出納簿に興行収入として記載された金額よりも遥かに少ない金額)に相応する入場税の支出がなされた旨の記載があるのであつて、銀行へ見せるための架空の帳簿としては極めて間の抜けた記載であるというべく、むしろ真実は、銀行へ見せるための帳簿ではなく、日日の金銭出納をありのまま記載した帳簿であるため、右のように興行収入と入場税支出との不均衡を来たすような記載がなされたものというべきである。また、原審証人吉岡源太郎同篠原太郎及び同柳生貴義の各供述記載をもつてしては、未だ前記各金銭出納簿が、銀行から融資を得るために短時日の間に作成されたものであつて虚偽の記載を含んでいるものであるとなすことはできない。およそ、被告人が、自ら作成した金銭出納簿につき、その記載内容は真偽相半ばすると主張するため、その記載事項中の相当部分を調査したところ、調査した事項についてはすべて他の証拠によつてその真実性が裏づけられたのみならず、原判決説示のような他の情況が存するときは、とくに調査できなかつた他の部分が虚偽であることを認めるに足る資料のない限り、その部分も、証拠によつて裏づけられた記載の真実性から推測して、真実の記載であると認めるのが相当であつて、それは何ら経験則に反することではない。したがつて、原判決が被告人らの弁解を排斥して各金銭出納簿の記載は十分信用に値すると判断したのは相当であつて、原判決には証拠に基づかないで犯罪事実を認定したような違法は毫もない。論旨は理由がない。

控訴趣意三の(3)及び一の(1)ないし(3)について。

所論は、いずれも原判決の事実誤認の主張であつて、原判示の1ないし12の各事実については被告人らにおいて原判示のような犯則を行なつたことは全くなく、また、判示13ないし30の各事実につき、被告人らが逋脱した入場税額は、原判決の認定した「逋脱した入場税額」の約三分の一程度に過ぎないというのである。

よつて、記録を精査し、原判決挙示の関係各証拠を綜合すると原判示各事実は優に認め得られるのであつて、原判決には何らの事実誤認もなく(論旨に指摘するような事情を認めるに足る何らの資料もない。)当審における事実取調の結果によつても、原判決の事実誤認を疑わしめるような事跡は毫も見あたらない。論旨は理由がない。

控訴趣意四について。

所論は、原判決の量刑不当の主張であるが、記録を精査し、本件各犯行の動機、態様、ことに犯行の期間、回数、逋脱金額等その他記録に現われた諸般の情状並びに被告人植田秀一及び同植田シマに対してはいずれも懲役刑の執行が猶予せられている点等を考慮すると、原判決の被告人らに対する各量刑は相当であつて、重きに失するとは到底認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴三九六条刑訴一八一条一項本文一八二条により、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤謙二 木原繁季 加藤竜雄)

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